知識

社会という共同体

自然と人間

 

自然界では外敵は排除されます。人間という社会性を持った生きものは共同体を形成して外敵からの侵入を防ぐ知恵をつけました。自然は独りで立ち向かうには厳しい環境です。家がなければ雨風を防げませんし、濡れたままだと体温低下による死が待ち構えています。活動に必要なカロリーも狩猟や採集により常に得続けられないと死に至ります。だからヒトは集団を形成してお互いにお互いを助け合い、過酷な自然に立ち向かう知恵を身に着けました。これは教育で教えることができても身に着けさせる段階には至らないことが多いです。

 

 

よく言われる例えで「馬を水飲み場に連れて行っても水を飲ませることはできない」といった故事があります。また、「魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」という故事もよく言われます。しかし結局のところ当人の発心、つまり「やろうと思い立つ」気持ちが無ければ無理矢理やらせることになり、感謝も恩義も感じることはできません。恩が何かを知らない人が恩を教えているため恩着せがましく感じてしまうのは仕方がないことなのかも知れません。恩が何なのか?を知識として知ることは魚の釣り方に該当します。恩とは○○と感じたあなただけのものだよと教えられないと知識としての恩と実際の恩とズレが生じてしまうのです。共同体を形成する上で必ずついて回る人間関係ですが、感謝のやり方や恩の返し方を知らずに希薄な人間関係でも個々人が独りでも生けていけると勘違いさせる情報で溢れてしまっている現代では空虚感を感じて生きていくのは当然のことと言えるのではないでしょうか。

共同体の目的

 

共同体の目的はその名称によって異なります。家族の場合は家を守り一族を絶えさせないこととなりますし、村の場合は統治者や領主である主の言いつけを時には守り、時には反発しながら家単位が発展していき生き残っていくことであります。会社という共同体の場合は会社の利益を増やして出資者である株主の利益を増大させていくことです。

 

もっと小さな単位に目を向けると、好きなアイドルの話や推しキャラがいる、一緒に夢に向かって歩んでいるとか、資格取得のために一緒に勉強する等、目的とは何かを成し遂げるために行動の方向付けを行うことであり、一人ひとり違って当たり前のモノです。

 

残念なことにこの辺りは現代の教育では重要視されず、気付かせてくれる人も少ないため蔑ろにされています。教育が資格だけの生業になってしまったのは悲しいことですが、別の目的は達せられているので問題ないと思います。興味がある方がいらっしゃるなら別の目的についての考察を違う形で提供できればと思っています。

共同体と為政者

 

集団が過酷な自然環境で生き残るにはまとめる人が必要です。まとめるためには集団の構成員にルールを守ってもらう必要があります。ルールを守らない人は集団にとっての利益を損なう人となります。少ない人数であれば放置しても問題なさそうですが、一定数を超えてくると集団が維持できないほどの損失になります。こうなる未来が見えている為政者は先んじて手を打つわけです。

 

 

為政者は共同体としての利益を常に考慮しています。たまに自分のために為政者になる人も居ますが、ここでは周囲のために為政者になっている人を想像してください。アナタが少なくとも他の誰かよりは共同体の利益を考えているものとした場合、ルールを守らない一部の人たちがいた場合はどうすれば良いでしょうか?当然のことですが、ルールを守ってもらうよう動くと思います。

 

 

ルールを守ってもらうだけでなく、ルールを守ってもらうのに使う必要なコストも計算して最小にしておかなければ共同体の存続が危うくなります。そうすると何故自治が必要なのか?や何故村八分があるのか?が少し見えてくると思います。共同体の為政者は外敵だけでなく、内部の敵に対しても対策を取っているのです。

共同体で起こるイジメ

 

大共同体には大小に関わらずルールが必要であり、存在目的を脅かす敵に対しては対策を取っていることをこれまで述べてきました。ではイジメは何故起こってしまうのでしょうか?この理由もよく考えればわかる話で、集団の目的にそぐわない行為をし続けた結果、排斥してもよいという判定を誰かから下されてしまっていて、それに気付かないから発生するという仮説が成り立ちます。

 

ここでの問題は集団の行く末を決めるリーダーが成熟していなくともなれてしまうことです。本来民主的に選ばれたリーダーで共同体や集団の利益にならなかった場合再選が行われるのですが、クラスのリーダーや会社の部や課程度の消臭談だった場合交代劇はなかなか起こりません。集団をまとめる力があるなら少集団から大集団へランクアップしていくのが普通ですが、現実的にはなかなかそういったことは起こりません。

 

集団を率いるリーダーの教育を無料で行っている場所などはなかなか聞いたことがありません。教われないから集団のリーダーの資質に依存してしまうし、好き勝手振る舞われて困ったことになっている集団が数多く見受けられます。そんな困った集団でイジメが起こりやすいのです。独善的で公平性に欠け不平等を感じながらも集団や共同体に所属し続けなければならないとき、イジメという問題が表面化していくのです。

次回もお楽しみにしていただけたら幸いです。

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